指揮:フランソワ=クザヴィエ・ロト
レ・シエクル
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今までこの曲は、最終稿しか聴いてこなかった。洗練された最終稿に比べて、このハンブルク稿は荒削りなところが魅力。特に、第4楽章の展開部でのクレッシェンドでティンパニのロールが加わっており、まるで第2番「復活」の最終楽章の地獄の釜の蓋が開く場面を思わせる。ちなみにこの曲の版の変遷については、こちらが参考になった。
これはハンブルク稿の特徴なのか、はたまたロトの解釈なのか(恐らく後者)第一楽章冒頭のフラジョレットの音が、楽章が終わるまで、そこここでこだまするように感じたのが新鮮。ふと思ったのだけれど、これはマーラーの耳鳴りではないかと思う。そして、この耳鳴りはアイデンティティを求めてさまようマーラー自身を表しているようだ。
ベートーヴェンからブラームスにかけてのロマン派のシンフォニーは、「正しい私」が色々な壁に直面し、最後には栄光を勝ち取って「私は正しい、そしてあなたも!我々は勝った」というカタルシスへ突き進んでいく。
しかし、マーラーの交響曲の世界には確固たる自己を持った私、というものが無い。ロト&レ・シエクルの演奏を聴いていると、そのことを強く自覚させられる。
表現としては、金管の音の質感を徹底的に柔らかくすることで、弦の音を浮き彫りにすることに成功している。ただ、もう少し弦楽器の響きにふくよかな厚みが欲しい。第4楽章の嵐の場面が過ぎ去ったあとの変ニ長調に転調する第2主題の場面などは、特にそう思う。
そういう物足りなさを含みながらも、恐らく長く聴いていく演奏になりそうな予感がする。
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